2014年8月2日土曜日

吃音者宣言360 仮1

吃音者宣言360を考えたい。
全ての吃音者が360度すべての方向に選択できる世の中になるための吃音者宣言が必要である。
吃音者宣言サンロクマル!!


現在の既存の吃音者宣言はこれだ。


吃 音 者 宣 言


 私たちは、長い間、どもりを隠し続けてきた。「どもりは悪いもの、劣ったもの」という社会通念の中で、どもりを嘆き、恐れ、人にどもりであることを知られたくない一心で口を開くことを避けてきた。
 「どもりは努力すれば治るもの、治すべきもの」と考えられ、「どもらずに話したい」という、吃音者の切実な願いの中で、ある人は職を捨て、生活を犠牲にしてまでさまざまな治す試みに人生をかけた。
 しかし、どもりを治そうとする努力は、古今東西の治療家・研究者・教育者などの協力にもかかわらず、充分にむくわれることはなかった。それどころか、自らのことばに嫌悪し、自らの存在への不信を生み、深い悩みの淵へと落ちこんで行った。また、いつか治るという期待と、どもりさえ治ればすべてが解決するという自分自身への甘えから、私たちは人生の出発(たびだち)を遅らせてきた。
 私たちは知っている。どもりを治すことに執着するあまり悩みを深めている吃音者がいることを。その一方、どもりながら明るく前向きに生きている吃音者も多くいる事実を。
 そして、言友会10年の活動の中からも、明るくよりよく生きる吃音者は育ってきた。
 全国の仲間たち、どもりだからと自身をさげすむことはやめよう。どもりが治ってからの人生を夢見るより、人としての責務を怠っている自分を恥じよう。そして、どもりだからと自分の可能性を閉ざしている硬い殻を打ち破ろう。
 その第1歩として、私たちはまず自らが吃音者であることを、また、どもりを持ったままの生き方を確立することを、社会にも自らにも宣言することを決意した。
 どもりで悩んできた私たちは、人に受け入れられないことのつらさを知っている。すべての人が尊敬され、個性と能力を発揮して生きることのできる社会の実現こそ私たちの願いである。そして、私たちはこれまでの苦しみを過去のものとして忘れ去ることなく、よりよい社会を実現するために活かしていきたい。
 吃音者宣言、それは、どもりながらもたくましく生き、すべての人びとと連帯していこうという私たち吃音者の叫びであり、願いであり、自らへの決意である。
 私たちは今こそ、私たちが吃音者であることをここに宣言する。 




【仮】 吃音者宣言360(サンロクマル)


吃音者宣言360

私達は長い間、きつおん・どもり(以下 吃音)を個人の問題だと考えていた。

吃音を各個人が自分なりの方法で受け入れてきた。
生まれ育った環境と人生経験を土台にして自分なりの方法で、その自分なりの考えに到達したはずだ。そこに到る道程は良い経験であり、辛い経験であり、それらが複雑に絡み合いながら、吃音者自身の人格形成であり人間性や性格に影響を及ぼし、さらに人生計画に影響を与えたはずだ。他人と会話することを避けることも、学校に通うのが嫌になることも、職業を選ぶことも、生活を犠牲にすることも。たくさんたくさん吃音と向き合いながら選択に次ぐ選択を繰り返し生きてきた。吃音による人生の機会損失が誰にでもあったことだろう。

吃音は2014年現在になってもそのメカニズムが解明されていない。

治るものなのか?
治らないものなのか?
治る人もいるのか?
それはまだわかっていない。

吃音の受け入れ方は人それぞれ多種多様である。

吃音を克服するために発話発声訓練を行う人もいるでしょう。
吃音であることを誇りに思い堂々とどもり続ける人もいるでしょう。
吃音であることが嫌で嫌で仕方なくて生きることそのものが嫌になった人もいるでしょう。

だが、本当に吃音者は吃音者個人の問題として、吃音に向き合っていくことが正しいことなのだろうか?個人の問題ではなく社会の問題として向き合うべきではないだろうか?

吃音者は「助けてくれ!!」というSOSをもっと社会に訴えてもいいのではないだろうか?
もっと世の中に世界に吃音者のことを伝えていくべきではないだろうか?
人間というのもは知らないモノ・コトに遭遇すると恐怖や不信感、警戒感が芽生える。さらには遠ざけたり避けたり、笑いの対象にするものである。その原因は「吃音」というそのモノ・コトを知らないからである。
吃音というモノ・コトをもっと世の中に伝えていくべきであるのだ。
そして、配慮が必要な人にはその選択肢を、訓練や治療を通して寛解させたいと思う人にはその選択肢を選ぶことができる世の中になるべきなのである。

全国の吃音者よ立ち上がれ。

吃音だからと自身を蔑むことはやめよう。
吃音があっても自由な人生を謳歌することができるようにしよう。
そして自分自身が経験してきて辛かったこと、避けられるならば避けたいことを次の世代の吃音者に経験させないように世の中の仕組みを変化させるように行動しよう。
日本政府による公的な福祉やセーフティーネットを求めよう。
社会・世の中が少し歩み寄ってくれて、吃音というモノ・コトを理解してくれれば嫌な思いをすることは歳月が経過するにつれて徐々に無くなっていくだろう。2014年現在の世の中の「普通」がインクルージョン・インクルーシブ教育により、その素晴らしい教育機会で学んだ子ども達が40歳代、50歳代、60歳代に成長する。そして日本社会を動かす時代になれば、今の「普通」から次世代の「普通」に変化するはずである。異なるから普通ではないから排除する・平等な機会にすら参加させない・○○してやっているということがなくなるはずである。


吃音者は吃音者だからこそ、他人や世の中から受け入れられない辛さと痛みを経験している。知っている。
吃音者宣言、それはどもりながらも吃音者各個人にあわせて生きやすい選択肢を示すことへの決意である。そして、助けてほしいこと、SOSがあるならば、堂々と世の中に社会に声を上げて求めていこう。もう当事者だけ関係者だけの中で内向きな環境で吃音を考えることをやめよう。

吃音者が360度すべての方向へ機会があり選択することができる世の中になるように。

吃音を苦にしてひきこもることや自殺することが少しでも減るように。

そして社会的障壁があるすべての人が生きやすい世の中になるように。

吃音者も吃音者だけはなく社会的障壁のある、一当事者として、
吃音以外の社会的障壁があるその他の当事者とも協力しながら生きていくことをここに宣言する。


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